KEEP LEFT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

沖縄旅行③

・沖縄旅行①
・沖縄旅行②

南城市玉城の糸数アブチラガマに行ってきた。

■アブとは・・・深い縦の洞穴
■チラとは・・・崖のことで、沖縄の方言で崖が縦に大きく落ち込んだ所を「大(ウフ)チリバンタ」という。
■ガマとは・・・沖縄方言で洞窟やくぼみのことを言います。沖縄本島はほとんどが隆起サンゴ礁でできており、数万年にわたる雨の浸食によってできた自然の洞窟が各地にあります。沖縄戦では、この自然洞窟が住民の避難場所となりましたが、日本軍の作戦陣地や野戦病院としても利用されました。戦争が激しくなると、ガマは軍民同居のかたちとなって米軍の攻撃の的となり、多くの命が失われることになりました。

※糸数アブチラガマのパンフレットより抜粋。

DSC00842.jpg


入場料は200円。
ヘルメットと懐中電灯を装備して、ガマへ。

DSC00843.jpg


入り口はかかみながら入らないと頭をうつぐらい狭いかったです。

DSC00844.jpg


奥は真っ暗。
ガマの中からは冷たい空気が流れてくる。

DSC00846.jpg


みんな中腰で中を移動。
入り口はものすごく狭かったのに、中は果てしなく広がっている。

他にも写真はあるのだが、真っ暗すぎてなにが写ってるかわからんから、掲載はやめといた。

戦時中はみんなこの暗く、狭いなかで暮らしていた。
米軍に手榴弾や火炎放射器で攻撃を受けた。

負傷者の叫び声、血のにおい、病気が蔓延してたという。
このガマでみんな必死に生きた。
こんな狭く、暗いガマの中で何ヶ月も。

想像するだけでも、恐ろしい。
ここの中は無残にも死んでいった人たちの悲鳴が聞こえるように思えた。

学校で戦争のことは学んだつもりだが、戦後から61年たったが、ここまで戦争の恐ろしさを体感できるとは思わなかった。

DSC00848.jpg


やっと出口が見えた。

DSC00849.jpg


出口の方はだいぶ広かった。


いい体験をしたと思う。


このあと、一向はひめゆりの塔へ。

DSC00856.jpg


ひめゆり部隊の話を知らない方はこちらを参照してください。
ひめゆり平和記念資料館

DSC00853.jpg


この記念碑の下に先ほどのようなガマへの入り口がある。


どれほど怖かったのであろう。どんなに悲しかったのだろう。

平和記念資料館で映像と文字で沖縄戦、ひめゆり部隊の話はわかるが、俺は知れば知るほど悲しくなった。

ここを訪れる前にアブチラガマに行ったことが大きかった。



戦争は体験したことないし、映像でしかみたことがない。

でも61年たっても、この場所(沖縄全土も)の傷跡は深い。

言葉ではいい表せない気持ちでいっぱいになった。


日本人として戦争に目を向け、改めて不戦を誓わないといけないと強く思った。




なんか自分で書いてて、気分が重くなったけど、ちゃんと昼飯は郷土料理を食べたよ。

20060906143958.jpg


ソーキそばと、なんちゃらって言う炊き込みごはん。
メッチャおいしかった。

そんで夜に国際通りへ。

20060906191152.jpg


帽子を買った。


そんで翌日JAL(1時間遅れ)で帰った。



ものすごく濃い3日間だった。
最初はゼミのプレゼンテーションがある予定だったが、時間がなくて、プレゼンなし。
つまり勉強なし。

ラッキー。

そんで、沖縄。
スコールがすごかった。
湿気がすごかった。
沖縄の人は本当に親切だった。ありえないぐらい。
これマジ。

食べ物がおいしかった。
海はきれいだった。
森はジャングルみたいだった。

戦争の傷跡が大きかった。
勉強になった。

また行きたいと思った。
JALでは行きたくないけど・・・



わんクリックお願いします!



こちらもついでにお願いします!

« それでも腹は減る|Top|このからあげは! »

コメント

リンク希望です

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://jawithjas.blog18.fc2.com/tb.php/341-bfa78490

Top

HOME

DM

  • Author:DM
  • 社会人6年生。
    働きながらバンドをやってます。
    生きた日々の軌跡です。

ボルドーの旅行情報
ボルドーの旅行情報>

名前:
メール:
件名:
本文:

アクセスランキング ブログパーツ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。